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春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
   かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

            周防内侍

子供の頃から好きな一首です。

…マせガキですねぇcoldsweats01

な~んて。
もちろん歌の意味など大して解からずに、音だけ気に入っていたのです。

今の季節だったらコレなんかいかがでしょう?

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
    わが身一つの 秋にはあらねど

           大江千里(「おおえのちさと」です。あしからず)

ヴェルレーヌに通ずるものがありますよね。

いやしかし、秋はいい歌がたくさんありますねぇ。

***

どうやら、ふとした判断の誤りから、とても大切なものをなくしてしまったようです。

ふたたび手に入れられることを切望しています。

やはり精神的に疲れていると身体も疲れ、身体が疲れていると精神的にも疲れますね。
「未病」状態にあるようです。
気をつけます。

皆様もご自愛ください。

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また、逢う日まで

     秋の歌(落葉)
         ポール・ヴェルレーヌ

     秋の日の
     ヰ゛オロンの
     ためいきの
     身にしみて
     ひたぶるに

     うら悲し。
     
     鐘のおとに
     胸ふたぎ
     色かへて
     涙ぐむ
     過ぎし日の
     おもひでや。

     げにわれは
     うらぶれて
     ここかしこ
     さだめなく
     とび散らふ
     落葉かな。

               (上田 敏 『海潮音』より)

     金色のちひさき鳥のかたちして

          銀杏散るなり夕日の岡に

               (与謝野晶子)

私の大好きな詩と短歌です。
もう一つ、中原中也の「一つのメルヘン」も好きなのですが、如何せん長いので、ちょっとここには掲載できません。

この季節は情緒的で、いかにも絵になりますよね。

***

10月18日は、我が永遠の愛しきもの、うしまるの命日でした。
うしまるは5年前の10月18日夜、家族に見守られながら、スーッと命の火を吹き消して、虹の橋を渡っていきました。

異変が見つかってからの3週間も、それまでと変わらない穏やかな日々を過ごし、最期の最期まで、立派で風格のある、誇り高き猫でした。

そのうしまるが、どうやら、今年の命日は我が家に戻ってきていたようです。
いや、正確に言うと前日です。

自分をこよなく愛し可愛がってくれた父を、いま自分のいる場所に連れて行くために。

父も、うしまると同じように、最期の最期まで、自分らしく生きてきました。
変わり者らしく、また、ぶきっちょに。
そして、実は照れ屋で、なかなか本音を言えないまま。

私たち家族も、最期の最期まで、いままでと変わらず、つかず離れず、父と接することができました。

父のために引っ越したり、デイサービスを活用したり、ホスピスで最期の1ヶ月を過ごしたり。
父も、入院して半月経った時に一度家に帰り、ニャンズに会えて、家も見られて、満足したようです。

ですから、悲しみよりも、できることはやったかな、という満足感が、母と私にはあるのです。

ただ、亡くなる6日前に洗礼を受けて、すっかり安心したらしく、思ったよりも早く逝ってしまいましたけどね。

・・・父者人へ・・・

では、また逢う日まで。

うしまるやミーミー、ピッピやチビコさん&ミケちゃん一家、金魚ちゃんたち、おじいちゃまおばあちゃま、伯母ちゃまたちによろしくね。

そちらで私たちの行く末を見守っていてくださいね。

Img_2777  特別出演:クリスティーヌ嬢

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